絵になる最初 1913年
竹内栖鳳 (1864-1942)
作品解説
障子を背に立つ女性は、顔の前に手をかざして上気した表情を隠し、目をそらす。足元には解いた帯、脱いだ着物を手放しきれないまま身体をおおう。青、灰、黄土色の模様が渦巻いて見え、恥じらい、困惑する女性の心理状態を暗示するかのようである。
1913年(大正2年)
絹本着色 軸
183.1 × 87.4 cm
竹内栖鳳 Takeuchi Seiho
京都市に生まれる。本名恒吉。幸野楳嶺に師事し、門下の四天王の一人に数えられる。パリ万博視察に渡欧、その機に雅号を棲鳳から栖鳳に改める。文展開設当初から活躍、大正期には帝室技芸員、帝国芸術院会員となり、二度中国に赴く。西洋画を含め諸派を融合し京都画壇の近代化を牽引するとともに、自然、生命への視点、省筆の鮮やかさに独自の境地を拓いた。京都市立絵画専門学校、画塾竹杖会で多数の俊英を育てた。第1回文化勲章受章。