大奥女中 1908年
伊藤快彦 (1867-1942)
作品解説
飾り気のない豊かな黒髪、二重瞼の瞳に紅を載せた小さな唇の美しい大奥の女中。どこか遠くを見つめる眼差しの柔らかな表情に現れた人物の性格描写と多彩な花柄模様の刺繍を入れた白い絹の打掛けの質感描写が見事である。
1908年(明治41年)
油彩 キャンバス 額
78.0 × 54.5 cm
伊藤快彦 Ito Yasuhiko
京都市の熊野若王子神社の宮司の長男として生まれる。京都府画学校で田村宗立に学んだ後、上京して小山正太郎の不同舎と原田直次郎の鐘美館に入門。京都に戻って、画塾鐘美会を開設して後進を指導する。関西美術会の結成に発起人として参加。関西美術院の創設にも参画して、鹿子木孟郎に次いで第4代院長を務めるなど、関西洋画壇の振興に貢献した。